なたねのはてな natane2021’s diary

2021年中学受験、するのかしないのか?今ひとつ気持ちが定まらない親子ですが、4年後期から日能研に通い始めました。

学校訪問の振り返り

こちらの記事でも少しふれましたが、我が家では、なたねが小4・小5のときにかなりの数の学校を訪問していました。

このことがシンプルに

「今年はコロナで学校説明会や文化祭が中止になって学校見に行くことができないから、早めに行っておいたのは吉だったねえ」

となれば良かったのでしょうが、うちはそうはならなかったよ。という振り返りのお話です。

 

まず訪問した学校の数ですが、29校30校(※数え直したらもう1校行ってました。もはや誤差の範囲な気もしますが一応直します(^^;)でした。複数回訪問した学校もあるので延べ回数ではもっと多くなります。我ながら物好きだな。

当時の心境を振り返ると、お気楽というか興味本位というか

「東京に住んで中学受験の出願資格を持つ子がいる、今しかできないことじゃん!」

という、いわばレジャー感覚に近かった気がします。

(いま見返したらこの記事でも少し言及していました)

そして学校訪問についてよく言われる「最初は親だけで」に従わず、積極的になたねを帯同しました。理由は以下です。

■「今は中学受験にさほど乗り気でないなたねだけど、実際に学校に行っていろいろ見聞きしてみれば本人の気に入る学校が見つかって、意識が変わるかもしれない」というほのかな期待をいだいていた。

■いざ受験となったときに、自分で見たこともない学校を勧められるまま受ける子ではないと分かっていた。

■親がよきと思っても、本人を学校の空気の中に置いてみないとその学校にフィットするかは結局判断ができない。それなら最初から連れて行ってもよいと思った。(ちなみに、この学校訪問がまさに「あててみないと分からなかった」経験をしたときのものです)

 

 ↓この巻で桂先生「一度目の訪問はお子さん抜きでなさって下さい。」と言ってますね…。 

 

そしてそして、その結果。

①なたねは、いくつ学校を見せても(というか、見せれば見せるほど?)受験を本気で自分事としては捉えなかったし、5年後半くらいから「友達と一緒に公立中に行きたい」という気持ちが強まってきた。そして6年生の塾のスケジュールをきっぱり拒否した。

②親の方も、いくつ学校を見ても(というか、見れば見るほど?)【素敵な学校とは思っても、我が家が実際にその学校にお世話になることは想像できない】状態が続いた。

③5年後半の時点で以下(1)(2)のand条件で絞り込むと、残った学校はごく僅かだった。

(1)なたねがそこで無理なく楽しく過ごしている姿を思い浮かべることができた≒親として子供を託したいと思えた。

(2)なたねも(当事者意識の希薄な中でも比較的)気に入った様子を見せた。

④仮に③の学校のみを受験するとしたら、そのためだけに6年生の塾カリキュラムをなたねに課すのは酷だし、無理だし、適切でもない。と思った。

⑤最後にはなたねからこの言葉が出た。

「中学受験は結局ママの自己満足じゃん。中学受験を勧める=裏を返せば公立中は勧めないという意味に取れるけど、それはなんで?ママはなたねが公立に行ったらダメになると思ってるの?将来とか、あまり先のことはそんなの分からないけど、なたねは公立に行っても勉強も部活もちゃんとやるよ。大丈夫だよ」

 

という訳で、今に至っております。

①の「5年後半から」というのはちょうど算数の単元がきつくなってきたタイミングですね。うーん、要はムズカシイ勉強は嫌だということか…。

③の学校については私はいまだに「どこもいい学校だなー」と思っており、なたねも少し前には「そこは(ケジメとして?)受ける」と言っていたのですが、出願の頃にどうなっているかは分かりません。気持ちは夏休み前より更に公立進学に傾いているようですし、正直、望みは薄いかな。

⑤については「アナタそんな言うほどリア充キャラでもないでしょうに。内申取れるか?高校受験だいじょぶか?」と心配ではあるのですがね…。

 

この顛末をお読みになった中受業界の方々はきっと

「うわ、何この親めちゃくちゃヘタこいてる。バカじゃね?」

と思われることでしょう。

でも我が家はこういう形でしか中学受験というものにアプローチできなかった。

そしてそこに後悔はないです。学校訪問、けっこう楽しかったですし(笑)

今なたねと一緒に(ときにはケンカしつつも)楽しく暮らしていけてることでオールオッケーと思えてしまうし「この子はきっと大丈夫」と思えてしまう。我ながらおめでたいな。

 

とにかく!5か月後には道は決まっている訳だ。

それまで淡々とやることやって過ごそう>なたね